「形の文化会」について
ヒトがヒトになったのは二足直立歩行によって手が誕生し、大脳化を促し、道具と言葉を持つようになったためだといわれている。そうした道具と言葉はいずれも固有な形態と機能(あわせて「かたち」)を持ち、これから文化が生まれた。ハードとしての道具はヒトが環境に働きかける型を決め、狩猟採集文化からグローバルな農耕文明・都市文明・機械文明・情報文明をもたらしている。またソフトとしての言葉はヒトとヒトのつながりである社会集団のまとまりを強化し、多様な社会集団と多彩な言語形態を発生させた。こうしてヒトによる自然と社会の認識を深め、思想を獲得させることによって、科学・文学・芸術・芸能・技芸などの多彩な文化領域の花を咲かせている。
われわれは、21世紀を迎えるにあたって、現時点におけるわれわれの文化の現象面ではなく原点にたち戻って、歴史的・通文化的にかつ地域的・比較文化的に、「かたち」の意味と意義をあらためて問い直す作業に取りかかるべきだと考える。「かたち」には確かに、各地域・各時代の諸民族に特有な時間的、空間的、また観念的なパターンがみられるからである。その一方で「かたち」は、異文化間において、相互理解の有力な手段になりうる手がかりを発信している。
「かたち」は自然・人工物のナチュラル・アルテファクトを問わず、直接的・第一義的にわれわれの眼に飛び込んでくるものである。またそれは全学問の祖型である古典ギリシャ哲学思想においては、「エイドス」すなわち形相として、「ヒューレー」すなわち質料に先立つものとされてきた。今日の認知論においてもパターン認識問題が脳と情報機械との間に立ちはだかっている。芸術諸分野においても造形・美術・写真等におけるデザインの重要性については指摘するまでもなく、さまざまな詩型や歌唱のスタイル、舞台や演技の型、茶道・華道などの芸道における作法という行為の型、あるいは様々な社会組織体である企業・団体・地域・都市などにおける統合と分散の型も文化の諸特徴を形成している重要要素と考えられる。また、おりがみ・てまり・あやとり・くみひも・紋様といった多彩な伝承文化も「かたち」の宝庫であり、固有な文化のスタイルを示している。その一方で、老荘思想や禅などの仏教思想においては、形なきものに本質を求め、形あるものをそこに迫るためのプロセスとみなす立場もある。
このような文化諸領域に見られる「かたち」の諸問題を新しい科学的・文化的・歴史的視点に立って総合的に研究し、「かたち」の人類思想上における意義を確認するとともに、その伝統的保存・創造的発展を期することは、各民族風土の保全とアイデンティティの涵養のためにも不可欠であると思われる。
以上のような観点から、われわれは「形の文化会」を発足させ、関連領域の研究者、芸術家、技能保存者などが一堂に会して、文化における「かたち」に関する学際的、広域的、創造的対話を図っていきたいと考える。そのさい、「かたち」を愛で喜ぶ「遊び心」と先祖から受け継いでいる「大和心」を忘れないようにしよう。それらはわれわれを培う原点なのだから。「かたち」をめぐる新しい情報とアイデアを心にいつも開いておこう。それこそがわれわれが世界とつながっている証拠なのだから。
1992年1月
趣意書作成 世話人代表 金子 務・宮崎 興二・桃谷 好英・高橋 義人